amarido 雑記帖

日々思ったことを書いていこうと思います。

三人の王様

むかしむかし、ある王国に三人の王様がいました。一人は背が低くて小太りで、一人は背が高くて痩せていて、もう一人は中くらいの体型でした。三人はみんなで一緒に丘の上の白いお城に住んでいました。

王様たちはそれぞれ、人と話すこと、本を読むこと、いろんなことを想像することが好きでした。それぞれの王様は自分が好きなことを仕事にしていました。

 

背が低くて小太りの、人と話すことが好きな王様はいろんな場所に出かけていきました。学校や市場はもちろんのこと、国民の家を訪ねたり、木こりが木を切っている森の中まで行ったりしました。小太りの王様はみんなの話をじっくり聞きます。みんなの顔を見て、にこにこうなずきながら聞きます。ときたま合いの手を入れたりもします。そんな調子ですから国民はみんな王様に話を聞いてもらうのが大好きです。最近孫が生まれたという話や、今年のかぼちゃの出来が悪いという話、最近にきびができたという話までどんなことでも話します。王様は嫌な顔ひとつせずにそんな話をずっと聞きます。そして決まって最後にこう言います。「そうか、とってもよくわかったよ。ありがとう。」

 

背が高くて痩せた、本を読むのが好きな王様はずっと本を読んでいました。王国には特別に大きくて立派な図書館がありましたから、王様は朝にわとりが鳴いてから、夜月が出るまでそこで本を読んでいました。王様はいろんな種類の本を読みます。歴史、数学、蝶の図鑑、推理小説が特にお気に入りでした。王様の頭の中はいろんな知識で溢れていますが、王様の好きな知識ばかりですから、それらは互いに結びついて、時に素晴らしいアイディアとなります。そうなると王様はそのアイディアを話さずにはいられません。すぐにお城に戻って二人の王様に話すのです。その内容は新しい牛の飼い方や面白いパズル、新しい星座など様々ですが、二人の王様はにこにこしながらその話を熱心に聞きます。ときおり質問をして痩せた王様のアイディアを膨らませたりもします。ここから生まれた、国民の登記簿の作成方法や森の管理方法など国のためになるアイディアも少なくありません。

 

最後に中くらいの体型の王様は想像することが好きでした。王様は空を見上げて見たことのない遠い国の暮らしを想います。世界一小さい虫や世界一大きい雲のことを考えます。二人の王様のことも考えます。太った王様が今日行っている木こりの仕事場のことや、痩せた王様が昨日思いついた新しい椅子のデザインのことを考えます。新緑の中、樹木の芽が伸びていく様子や、かんなをかけたばかりのつやつやした木の椅子の表面のことを考えます。王様はたいていお城に四方を囲まれた中庭でこういったことを想像していました。召使たちは王様が何か考えていることを知っていますから、声をかけたりはしません。ときおり紅茶を継ぎ足し、クッキーを補充するくらいであとはほおっておくのです。

 

さて、この王様たちがどうやって国を治めていたか不思議に思う方もいるかもしれません。実はこの三人の王様はとてもうまくやっていたのです。

 

国民へのおふれは太った王様の担当です。なにか国民に伝えることがあると、この太った王様が国中に聞こえるマイクで話します。国はとても広いですから、各町々にこのマイクの声が聞こえるスピーカーが設置してあるのです。大抵は町の広場に設置してあり、王様からの放送が入ると、みんな広場に話を聞きに集まってきます。みんな王様の話が聞きたくてうずうずしているのです。王様の話はこんなふうです。

「わたしはA町のカイザさんから最近川の水が溢れて、家に入ってくることがあると聞きました。それで、その川の上流にダムを作ることにしました。ダムという言葉を初めて聞いた人もいるでしょうか。これはのっぽの王様が言うには水を貯めておいて、川に流れる水の量を調整できるものです。中くらいの王様が計画を作ってくれました。協力してくれる人は○月☓日の朝、まだ風が涼しい朝頃にA町の広場に集合してください。」

さあ、これで他の王様もどんなふうに仕事をしているかわかったでしょう。背の高い王様が必要な知識を仕入れてきます。中くらいの王様は計画を立てます。三人が揃ってはじめて実行になるのです。

 

さて、そんなふうに三人は仲良く国を治めていましたが、あるとき、遠い国の遠い町から王国に商人がやってきました。この商人は紫色のターバンを巻き、紫色の服を着、紫色の靴を履いていました。腕には金色の腕輪が光ります。商人はお城に来てこう言いました。

「お目にかかれて幸運です、王様。どうか私の品物をご覧にいれましょう。きっとお気に召すことでしょう。」

 

このとき、太った王様は市場に出ていて、背の高いの王様は図書館にいましたから、中くらいの王様しかお城にいませんでした。それでその王様は言いました。

「これはこれはよくお越しになった。その品物とやらを是非見せていただこう。ただ、他の二人の王様は出かけているから、二人が帰ってきてから三人で見よう。」

 

すると、その商人はひどく驚きました。そして言いました。

「この王国には三人も王様がいらっしゃるのですか。それはおかしなことです。王国には王様はただ一人と決まっています。」

 

中くらいの王様もひどく驚きました。

「王国に王様はただ一人と決まっているとな。それは知らなかった。」

 

商人は言います。

「当たり前のことでございます。王様はただ一人で、すべてのことを決められるのでございます。」

「すべてのこと?」

「はい、すべてのことです。国民の年貢の量から、馬に与える飼料の量から、王様自身の杖につける宝石の量からすべて。」

 

中くらいの王様はひどく混乱します。自分一人でそんなことを決めたことはないのです。商人は続けます。

「この王国ではどうやって物事を決めるのですか。」

 

王様はしどろもどろになりながら説明します。

「三人で話し合うのだ。太った王様は国民から聞いた話を持ってくる。のっぽの王様は本から仕入れた知識を持ってくる。わたしはそれを聞いて、いろんなことを想像して、二人に伝えるのだ。」

 

商人はにやりと笑いながら言います。

「それでは決めているのはあなたではありませんか。その太った王様と背の高い王様の役割は、他の王国では秘書と呼ばれるのでございます。本当の王様はあなたです。」

 

王様は驚きます。

「そんなことは考えたこともなかったな。」

しかし、少し考えてからこう言います。

「でも、だから何なんだ?」

 

「なんと、何なんだとおっしゃる。この王様はとっても謙虚な方であるようだ。すべてを決めるというのはすべての人が憧れる仕事なのです。王様はすべてを決めていらっしゃる。あなたの国民をご覧なさい。彼らは年貢の量も、馬の飼料の量も、何一つ決めることができません。すべて王様のおっしゃったとおりにしているのでしょう。彼らが決められることといえば、今日の夕飯に何を食べるのか、それくらいではありませんか。いえ、それと言っても実際は彼らは財布の中身を見て、肉のシチューか、野菜のスープか決めているだけではありませんか。彼らに何が決められるのでしょう。それに対してあなたが決められることの多さと言ったら!」と商人は大げさに空を仰ぎます。

 

「年貢の量も馬の飼料の量も私が決めているのではない。太った王様が国民から今年は野菜の採れ高が悪いと聞けば年貢を減らすし、馬の飼料はのっぽの王様が本で読んだ馬の健康にいい量を与えるよう国民に言ってあるのだ。これでも私が決めていると言うのか?」と王様は商人の顔を見据えて言います。

 

でも商人も負けません。

「王様は何もわかっていらっしゃらない。仮に次の機会に、馬の飼料を今の半分にすると言ってごらんなさい。他の二人の王様は何も反対しないでしょう。それが王様が王様であるということの証拠ですよ。決めているのはあなたなのです。」

 

 

それからというもの、中くらいの王様は来る日も来る日も商人の言葉を考えました。すぐには理解できませんでしたが、王様は考えることが好きなのでずっと考え続けました。そうして、ふと、商人が言ったように馬の飼料の話を二人の王様をしてみようと思い立ちました。

 

「馬の飼料の量について話したいのだが。」と中くらいの王様は、夕食の時間に言い出しました。夕食は決まって三人でとることになっていたのです。

「ほう、どうした。」と太った王様はにこにこしながら言いました。

「馬の飼料を今の半分にするとよいと思うのだ。」と中くらいの王様は言いました。

「だが、今の量が馬の健康にとってはちょうどいいのだ。」とのっぽの王様は言いました。

中くらいの王様は頭を掻きながらこう言います。「だが、いろいろ考えてみると、そのほうがよさそうなのだ。」

太った王様とのっぽの王様は顔を見合わせました。中くらいの王様がこんなふうに言い出すのは初めてのことだったのです。

「どうしてもか。」太った王様は言いました。

「そうなのだ。」中くらいの王様は言いました。

太った王様とのっぽの王様はもう一度顔を見合わせました。そうしてたっぷり黙ったあと、二人はそろってこう言いました。「王様が言うならそうしよう。」

 

その次の日、太った王様は馬の飼料を半分にするとマイクで話しました。国民はそれを聞いて、その日から飼料を半分にしました。

 

その放送を聞いた商人が再び中くらいの王様に会いに来ました。その商人はこの国にとどまっていたのです。

「王様、放送を聞きました。他の王様はすぐに賛成したのでしょう。」と商人は言いました。

「そのとおりだ。反対されると思ったがな。」と中くらいの王様は正直に言いました。

「だが理由がまったくわからない。のっぽの王様が反対してもよさそうなのに。」

 

商人は言いました。

「それは王様こそが本当の王様だからです。他の二人は秘書でしかないのです。これでわかったでしょう。」

 

中くらいの王様はしばらく考えてからこう言いました。

「そうなのだろうか。」

 

商人はまた王様が考え出したのを見てにやりとしました。

 

 

 それから、国中では馬が衰弱し始めました。必要な量の半分しか餌があたえられないのですから無理もありません。太った王様は行く先々で声を聞きます。

「うちの馬が元気がなく、荷物も前の半分の重さしか運べません。」

「うちの馬が死んでしまいました。」

「馬の餌が足りないのではないでしょうか。」

 

しかし、太った王様はこう言います。

「これは三人で話して決めたことなのだ。このままでいってほしい。」

 

ただ、夕食のときにはこの話題が出ます。

「今日も馬が死んでしまったという話を聞いた。中くらいの王様のことを信じているが、この件は何か理由があってのことなのだろう。どうか教えてくれないか。このままでは国民が騒ぎ出してしまうのだ。」と太った王様は訴えます。

 

しかし、中くらいの王様は宙を見つめながらこう言います。

「これは考えがあることなのだ。理由は言えるときが来たら言うが、今は言えないのだ。」

 

そのたびに太った王様とのっぽの王様は顔を見合わせながら、こう言います。

「そうか、そうなら仕方がない。中くらいの王様のことを信じているから。」

 

 

さて、中くらいの王様の様子が変わってしまったことにお気づきの方もいるでしょう。そうです、王様はすっかり変わってしまいました。以前は中庭で国のみんなのためになる楽しいことを考えていたのに、最近では「自分がすべて決めるとはどういうことか」ばかり考えています。最初はよくわからなかったのですが、次第に、商人が言ったようにそれはとても魅力的で、特別なことに思えてきました。

 

そして、中くらいの王様はいろんなことを言い出しました。年貢の量、新しい登記簿の書き方、ダムの日程変更、各王様の呼び方・・・。(太った王様は話王様、のっぽの王様は本王様、中くらいの王様はなんと大王様となりました。)二人の王様は何か理由があるのだろうと黙って聞いていましたが、ついに言い出しました。

 

「きみのやっていることはおかしい。すべて悪い方向にはたらいているじゃないか。国民からの声もひどいものだ。」と太った王様は言います。

「そうだ、それにどれも根拠がない。調べてみたが、どの本とも全く違う内容じゃないか。」とのっぽの王様は言います。「そろそろ理由を聞かせてくれないか。これ以上は納得がいかない。」

 

そんなところに例の商人が相変わらず紫のターバンを巻いて、ニヤニヤしながら現れました。「おやおや、議論がもりあがっているようで。」

 

「盛り上がっているどころではない。中くらいの王様が最近おかしいのだ。」と太った王様は言います。「ところでお前は誰だ。」

 

商人は慇懃な態度でこう言います。

「これは失礼しました。わたしは遠い国の商人であり、この大王様の顧問です。」

 

「顧問だと?そんなもの雇った覚えはない。」とのっぽの王様は言います。

 

「私が雇ったのだ。」と中くらいの王様はにやりとして言います。「なんたってわたしが大王様なのだからな。」

 

太った王様とのっぽの王様は顔を見合わせます。そして中くらいの王様に向き直って言います。「お前は誰なんだ?」



それから王国では戦争が起きました。中くらいの王様に従う人々と、あと二人の王様に従う人々に別れて戦ったのです。

中くらいの王様に従う人々などいたのでしょうか?それがいたのです。その人たちは皆「大王様の旗のもとに!」と叫びながら戦ったのです。

 

それから長い月日が経ちました。この王国は皆さんご存知のようにもうありません。



さて、わたしは皆さんに問いたいのです。この王国に三人の王様がいたことはほんとうにおかしいことだったのでしょうか。そして、商人は王様に何を売ったのでしょうか。

 

 

 

 




七本の松

 松の声を聴いたことがありますか。聴いたことがないと思っても仕方がありません。松の声はさらさらと響くので、ほとんどの人は風が枝の間を通り抜ける音と聞き違えてしまうのです。しかし、松の声は風の音よりももっと低く、太い弦を弾いたような音ですから、一度聴けるようになれば間違えることはありません。

 

 さて、いまわたしたちがいるところからずっと南の方に、美しい砂浜のある町がありました。その砂浜の砂は白く、ぴかぴかしていて、風に乗って砂が飛んでいくさまはまるで天使が吹くラッパのようでした。そのあたりではたいてい海は凪いでいて、ひたひたとした大きなゼリーのように見えました。そんな砂浜の、ちょっとした丘の上に、七本の松は立っていました。

 

 七本の松は兄弟でした。一番左が一番お兄ちゃん、一番右が一番弟でした。この松の兄弟は、毎日例の声でいろいろなことを互いに話しました。遠くに見える船の色や、とんびの飛び方や、自分の枝の形など、いろいろなことです。松の兄弟はとても幸せで、とても満足していました。

 

 ある日、そんな松の兄弟のところに女の子がやってきました。ひがんばな色の服を着て、小さないい匂いの麦わら帽子をかぶった女の子です。女の子は一番左のお兄ちゃん松の足もとに立つと、こう言いました。

「あなたはなにを見ているの?」

 お兄ちゃん松はこう答えました。「海も、砂浜も、空も、船も、とんびも、それから君も、すべてだよ。」

 

 女の子はちゃんと松の声が聴ける人間だったのです。女の子はその答えに満足し、二番目のお兄ちゃん松のところに行き、こうききました。

「あなたはなにを聴いているの?」

 二番目の松はこう答えました。「波の音も、砂の流れる音も、風の音も、船の汽笛も、とんびの声も、それから君の声も、すべてだよ。」

 

 女の子はひなげしの花のように笑いました。自分の声が松に聞こえているのがうれしいようでした。次は三番目の松のところに行き、こうたずねます。

「あなたはどんなかたちなの?」

 三番目のお兄ちゃん松はこう答えました。「かくかくで、ごつごつで、ちくちくだ。」

 

 女の子はすこし顔をしかめました。「それってわたしとちがうみたい。わたしはぴたぴたで、つるつるで、さらさらよ。」女の子は、そのままのしかめ顔で四番目の松のところに行きました。

「あなたは服を着替えないの?わたしは空いろの服と、月いろの服と、あと貝いろの服を着るわ。」

 四番目の松は途方にくれました。松はこれまで服というものを着たことがないからです。「服はないんだ。ずっといまのすがたのままさ。」

 しかし、女の子が不満げなのを見て、四番目の松はこう付け足しました。「でも空いろも、月いろも、貝いろも全部知っているよ。毎日見ているもの。」

 「そりゃあね。」と女の子は冷たく答えました。四番目の松はかわいそうに、さらに途方にくれました。

 

「あなたは海のむこうに行ったことはある?」と女の子は五番目の松にたずねます。「わたしは何度もあるわ。」

「ないよ。」と五番目の松は短く答えました。「どうしたって僕が行ったことがあるなんて思うんだい?」五番目の松はあきれたように言いました。

 

 女の子はもう笑いません。つんとした顔で六番目の松に近づき、こう言います。

「あなたはなんでったってここにずっと立って、毎日同じものを見たり聴いたりしているの?なにか新しいものを見たり聴いたりしたくないの?」

 六番目の松は答えません。何を言っても無駄だと思ったからです。女の子は六番目の松が何も答えなくても気にせず、一番右の、七番目の松に近づき、こう言います。

 

「あなたはなんのために生きているの?」

 七番目の松は何も答えません。松の声ではなく、風が枝の間を通り抜ける音がするだけです。女の子はふーっとため息をつくと、松の兄弟の元から去っていきました。

 

 でも本当は、七番目の松はこう言っていたのです。

「海と砂浜と空と、船ととんびと、僕たちと、それから君も、それはいちぶだけどすべてなんだよ。だから僕達はそのために生きているんだ。」

 残念ながら、女の子はもう松の声を聴けなくなってしまっていました。

 

 それから松の兄弟はあの素敵な声で、海と砂浜と空と船ととんびと一緒に歌いました。それはこの世のものとは思えないほど素晴らしい歌でした。

 

 あなたは松の声を聴いたことがありますか。もしまだなら注意深く聴いてみてください。そして実は、松でなくでも、すべてのものは声をもっているのですよ。

 

 

Wikiランダム小説とは

以下のリンクを使ってWikipediaからランダムに単語を選び、その単語を種にして小説を書く取り組みです。基本的に選び直しはなしで、最初に出た単語を使います。あくまでインスピレーションなので、単語とは全く関係ない話になる可能性があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Special:Randompage

 

今日の言葉はこれでした。(実際には海はなさそうです。)

七本松町 - Wikipedia

ロリータと愛

ウラジーミル・ナブコフの「ロリータ」を読んだ。ロリコンゴスロリの「ロリータ」の語源になっている小説である。

感想を一言で言うと、「愛とは何か」を考えさせられた。主人公ハンバート・ハンバートは下宿先の12歳の少女ドロレス(愛称:ロリータ)を愛するようになる。ハンバートは、ロリータ目当てにその母親である、未亡人の女主人と結婚するというなかなかやばい人物である。話の中では眉を顰めたくなるような出来事も多々あった。ただ、私はそこに歪んではいるものの、ハンバートの愛を感じた。

話の中で、クレア・クィルティという劇作家が出てくる。彼はロリータに辱めを与えている。正直、第三者から見るとハンバートもクレアも、やっていることは胸糞悪い犯罪である。だが、ハンバートはクレアのやったことが許せず、彼を殺害する。ここで思ったことは、愛は形では理解できないものだということだ。他人からは同じに見えることをでも、片方は愛の、片方は残虐さの発露であるということがあり得るのだ。

それを描写するために、ナブコフは少女性愛というテーマを選んだのではないかと思う。世間から嫌悪されるものであっても、そこにはその人にとっての愛がある場合がある。

また、このテーマで書いたナブコフは勇気の人だと思う。世間からどう思われるかを気にしていてはこの本は絶対に書けていないであろう。実際、出版当時は内容について論争が起こったようだ。よく「人は一生に一冊は本を書ける」という話を聞くが、これは世間の評価を気にせず、自分の経験や考えなどを真にそのまま書ければ、それは人が読みたいと思うほどに価値のあるものになるということではないかと、この本を読んで思った。だが、それをやるのは本当に難しいことだと思う。

「ロリータ」を読み終わった直後は、やはり後味が悪かったのと、長かったのでやっと読み終えたかという思いだったのだが、数日経つと内容が思考の中に滲みてきた。通勤で歩いているときなど、ふとしたタイミングで「ああ、作者が伝えたかったのはこういうことなのかな」と考えが浮かび上がってきた。そういう小説はこれまであまりなく、そういうところが名作と言われる所以なのだろうなと思った。

物欲とエネルギー

村上龍さんの「案外、買い物好き」を読んだ。村上龍さんの作品では「コインロッカー・ベイビーズ」と「55歳のハローライフ」、あと子供の頃に「13歳のハローワーク」を読んだことがあるけれど、エッセイは初めてだ。

印象としては、村上さんはエネルギーがある人なんだろうなと思った。作家さんは皆そうなのかもしれないけれど、文章で人を引きつけて、読ませて、何か伝えるというのは、書く人自身にすごいエネルギーがないとできないことだと思う。演劇やライブを観ると、出演している人のエネルギーの大きさに驚くけれど、ものを媒介させて人を引きつけるためにはそれくらいの、いやそれ以上に大きなエネルギーが必要なのではないか。村上さんのそのエネルギーは買い物という方向に発散されたときにもとても大きくて、そのためにイタリアでシャツを20枚買うという結果になるのだと思う。

私は自分では比較的物欲がない方だと思っていた。友人の買い物話を面白く聞きつつ、私は物にそんなに夢中になれないんだよなーとどこか醒めた感想を持っていた。しかし、最近ちょっと物欲が強くなってきた気がする。通勤用のバッグが壊れてしまったのでネットで色々と探していたのだけれど、これが楽しいのである。外に買い物に出ると体力的に疲れてしまって、見て回る途中でもういいやと思ってくるのだが、ネットは疲れ知らずだ。もちろんたくさんの商品を見ていると頭が疲れてくるのだけれど、そうしたらパソコンをぱたんと閉じて、また明日に持ち越せばいい。実店舗では気後れして入れないようなブランドショップでも、ネットであればパジャマにすっぴんで見て回れる。いい時代になったものだと思う。結局自分の基準では高めのバッグをネットで買ったのだが、高いものを買うと買った後も高揚感が続く。実は私は高いものを買う楽しみを知らなかったから、物欲がないと思いこんでいただけかもしれない…。おお怖い。

ともかく、個人的には、欲望がある人の方が魅力的だと思う。エネルギーがないと欲望もない。今年は「今これがほしいんだよね!」と物欲のある、エネルギッシュな人間になることを目標にしたい。

ダイエット遍歴

先日、炭水化物ダイエットをしている友人がしばらくうちに滞在した。半年で6kg痩せたというから羨ましい。そう言われてみれば顔周りがスッキリし、目も若干大きくなった気がする。

何度か一緒に食事をする機会があったのだが、どうやら彼女はおかずを食べ、炭水化物である主食を食べないというスタイルのようである。一緒にコンビニに行った際も、糖質オフの商品を選んで買っていた。

という私もやはり女であるので、昔からいろんなダイエットに挑戦してきた。カロリー制限、ジョギング、ジム…。一番痩せたのは高校生の時に行った、夕食を500ml紙パックのミルクティーに置き換えるというものだ。今考えるともっと腹持ちが良くて栄養価が高いものに置き換えれば良いのだが、如何せんその頃は知識もなく、お腹がいっぱいになって美味しくて、夕飯よりもカロリーが低い何かに置き換えればいいだろうという安直な考えから思いついたものだった。その時は2ヶ月で7kgくらい痩せたと記憶している。(ただ、その生活をやめた瞬間一瞬で戻った。)

その時は、朝食パン一枚、昼小さめのお弁当、夜ミルクティーという生活だった。今考えるとよくその栄養バランスの悪い食事で身体がもっていたなと思う。また、精神的にもよく耐えられたなと思う。人によっては「それだけ食べていれば十分でしょ」という人もいるだろうが、私は元来よく食べるし、食事を楽しみに生きているタイプなので、食事ができなくなるというのは精神的にかなりくることなのだ。痩せたい痩せたいと願っていた思春期の頃だからこそできたダイエットだろう。あの頃は寝ても醒めても、授業中だって食べ物のことばかり考えていて、朝体重計に乗るのが一番の楽しみだった。

あれから10数年(!)経ち、そんな無理なダイエットはしなくなった。現状しているのは(最近さぼりがちだけど)、昼と夜に主食を食べないことくらいだ。大人になって若干ではあるが金銭的に余裕が出たし、知識もついたので、変な置き換えではなく、肉・魚類やサラダ類の量を増やすことで調整している。実感としては昔よりかなり量を多く食べているにも関わらず、普通体重をキープできているのが不思議だ。

私の場合、ダイエットの敵は空腹よりもストレスだと思う。心が満足する食事ができないとストレスが貯まるし、ストレスが貯まると食べて発散しようとするという悪循環が発生する。そしてどか食いしてしまい、我慢できなかった自分にストレスが貯まる…という負のスパイラルだ。それを防ぐためにはダイエットに効果があるが、心が満足できる食事を摂るところから始めるのが得策だ。そういう意味では、比較的心が満足するメニューを食べられる炭水化物ダイエットはありがたい存在だ。

でも本当のことを言うと、自分が食べたいものを食べたいだけ食べたい。菓子パンを5個くらい一気に食べたい。あとポテチ。天才な人がいくら食べても太らない薬を発明してくれることを祈ります。買います。

はじめまして

あまりどと申します。IT系の会社のOLをやっている20代女です。3年前に結婚し、夫と二人暮らしです。趣味は読書とテレビです。

日々思ったことを書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。